[Opinion] 인간은 생각보다 강하다. 시모지마 레이사 안무 '닥쳐 자궁' [공연]

글 입력 2024.11.22 13:45
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‘자궁이 없어진 세계는 어떨까?’


 

11.15(금)부터 17(일)까지 예술의전당 자유소극장에서 공연된 시모지마 레이사 안무의 <닥쳐 자궁>은 인간의 가장 원초적인 집단, 가족에 대해 이야기한다.

 

가족은 어떻게보면 인간종의 번식이다. 그리고 그 속엔 생명의 탄생에 있어 필수적인 어머니의 자궁, 아버지의 고환(불알)이 있다. 안무가인 시모지마 레이사는 선천적으로 자궁을 갖지 않고 태어났다.

 

그는 이를 스스로 자궁을 가진 채로 나오는 것을 거부하고, 어머니 뱃속에서 스스로 자궁을 떼어다고 태어났다고 말한다. 그는 완전한 자유의 몸으로 태어난 축복으로 인간 삶에 대한 오해를 전복시키고, 본인만의 방식으로 생명이 완전히 전멸한 세계를 그린다. 60분간 그의 삶의 서사가 담긴, 그의 몸 속을 들어가 탐험하는 여정을 그려낸다.

 

 

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시모지마 레이사의 <닥쳐 자궁>은 2021년 국립현대무용단 ‘우리가족출입금지’ 프로젝트에서 초연된 작품이다. 그가 초연을 준비하던 중, 태어난 시점에 이미 1살인 것으로 여기는 기존 한국식 나이 계산법에 영감을 얻고, 자신은 자궁이 형성되지 않은 것이 아니라 자신의 의지로 ‘어머니의 태내에서 자궁을 떼어내고 태어난 것’임을 깨달았다고 한다.

 

 

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‘거시기꽃이~ 피었습니다~’


 

‘거시기꽃이~ 피었습니다~’로 시작하는 공연은 남성 무용수 1명과 여성 무용수 2명으로 시작된다. 은색 팬티(혹은 기저귀)와 상의를 입고 재밌게 놀이를 하던 그들은 점차 어디론가 빨려들어가는 효과음과 함께 여성 무용수 두 명이 남는다. 이후 두 무용수는 한 명의 팬티 안에 숨겨져 있던 풍선껌 2개를 각자의 입에 넣고 쩝쩝거리며 씹는다. 서로 듀엣으로 춤을 추다가, 씹던 껌을 뱉어서 각자의 입에 넣고, 또 다시 춤을 추다가 각자의 입에 넣는 것으로 보아 서로의 체엑을 공유하고 있음을 알 수 있다.

 

두 무용수의 관계는 엄마와 딸로 설정되며, 엄마의 자궁 안에서 태어난 딸은 서로의 체엑을 공유하며 유전적으로 연결된, 뗄레야 뗄 수가 없는 가족이라는 관계를 갖는다. 처음에 나온 3명은 가족이라는 하나의 그룹으로 묶여 있으며, 이들은(윤혜진, 이대호, 임소정) 연극성을 가진 캐릭터로써 관객들에게 흐릿한 현실적인 서사의 단초를 제공한다.

 

이후 엄마의 역할을 한 무용수가 씹던 껌을 다른 무용수의 속옷 안으로 뱉어버리면, 천장에서 거대한 흰 색 천이 무대 중앙으로 떨어진다. 무대 여러 군데에 달려있는 스피커에서 나는 예측 할 수 없는 소리의 향연과 장면들의 연출이 너무나도 신박했고, 60분간의 이야기를 몰입시키는 데 큰 역할을 했다.

 

 

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이후 흰 천이 떨어지고 나면, 배에 북을 매단 여성 무용수 9명이 등장한다. 파란 의상에 빨간 무릎 보호대를 한 무용수들은 일본 사무라이 같기도 하고, 일본 전통 의상을 입은 것처럼 보인다. 그들이 등장함에 따라서 무대 분위기는 몽환적으로 변화하고, 마치 안무가의 몸속으로 들어가는 듯한 상황을 제시한다.

 

입이 찢어질듯 웃고있는 그들의 한결같은 표정은 현실적인 이야기에 유머를 부여하고, 불편할 정도로 현실적인 이야기를 해학적으로 풀어내는 역할을 한다. 또한 북으로 배를 불린 모습은 임산부 같기도 하고, 하나의 생명체 같기도 하고, 무언가 보듬어주기를 원하는 듯한 몸 속 정자 혹은 난자 같기도 하다.

 

 

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중앙에 떨어진 거대한 천은 관객들을 거대한 자궁 속으로 들어오게 하는 효과를 불러일으킨다. 배에 북을 단 무용수들은 한꺼번에 천 속으로 들어가 천을 마구 휘집으며, 마침내 한 명의 무용수이자 안무가인 시모지마 레이사가 무대 위에 남는다. 그는 배에 매단 북을 아기 다루듯 소중하게 다루며 애지중지하는 모습을 보인다. 하지만 그때 엄마 역할인 무용수와 아이 역할인 무용수, 즉 현실 속의 무용수가 그 북을 매우 쳐버린다. 호기심에서 시작한 두드림이 점차 매우 폭력적으로 변화한다.

 

 

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이후 아파하던 무용수에게 달린 동그란 북에서 갑자기 마치 수염처럼 매달린 동그란 노란 공, 불알이 튀어 나온다. 불알이자 두 노란 공은 무용수의 신경 세포인듯 조금 건들면 무용수가 몸으로 아픈 반응을 보내며 관객들의 웃음을 자아내지만, 무대가 아닌 현실로써 받아들였을 때는 불알을 그들이 몸에서 떼어낸 것으로 읽을 수 있다.

 

이후 9명의 군무 무용수들이 나와 작품의 하이라이트인 ‘불알 댄스’를 선보인다. 북에 달린 두 개의 공으로 북을 마구 치면서 관객들의 흥을 돋구고 무대를 축제 분위기로 만들어버린다. 또한 인상깊었던 장면으로 3가족의 현실 스토리에서 엄마와 아빠의 갈등이 고조되며 자녀(딸)의 책임권을 서로 맡으려고 언성을 높이며 싸우는 장면이 있다. 가족간의 갈등, 그리고 그 속의 분열, 가족이라는 개념에 대해 다시금 질문하게 만드는 시간이었다.

 

 

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마지막으로 딸 역할을 한 무용수가 무대를 꽉 채우는 거대한 사이즈의 빨간 깃발을 들고나와 이리저리 휘두르는데, 이는 맨 처음 흰 천이 떨어졌을 때 조그만 빨간 깃발을 매단 장남감 자동차가 시사한 바와 연결된다. 안무가의 사유가 터지기 전, 자그만한 오해에서 시작한 생각이 이후 그가 당연하다고 여겼던 것에 대한 회의감을 느끼고 세상에 당연한 것이란 없다는 걸 깨달으며 확장된 사유로 뻗어나간 안무가의 머릿속 같기도 하다. 또는 생명을 맞이한 준비가 된 임산부의 몸 같기도 하다.

 

 

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<닥쳐 자궁>이 말하고자 하는 바는 결코 단순하지 않다. 그가 시사하고 있는 바, 안무가의 몸이 시사하고 있는 바를 그는 매우 유쾌하게 하나의 탐험이자 축제처럼 자궁이라는 무대 위에서 풀어내었다. 자궁이 없다면 인간 또한 없다. 기존의 여성에게 부여되어온 인간의 생명이라는 무거운 짐이 처음으로 느껴지는 순간이었다. 매번 신성하게만 여겨졌던 생명의 탄생이, 인간종의 번식이 이토록 허무했던 것이었나? 사회가 여성의 몸에 주입한 틀에 박힌 각본이 보이지 않는 너무나도 큰 신선한 충격으로 다가왔다

 

 

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자꾸만 회귀되는 몸으로의 사유


 

우리에게 육신은 신께서 아무 이유 없이 부여하신 것이 아니다. 우리는 태어나기 전부터 성별이 정해져 태어난다. 이말인 즉슨 태어나기 전부터 한 생명에게, 우리에게 사회가 부여한 의무와 책임이 있다는 점이다. 지금껏 우리는 당연하다고 여겼던 성별과 성별에 맞는 책임과 의무에서 벗어나 아무런 책임과 의무를 부여받지 않은 이 몸을 보라.

 

자궁도, 불알도 없는 몸을 ‘아무것도 없는’ 육체이자 자유라고 표현한다. 번식의 기능에서 벗어난 완전히 해방된 인간의 몸. 육체, 육신. 이 몸에는 수많은 잠재력이 다분하다. 이 세상을 조금은 다른 각도에서 바라보는 안무가에게 우리는 새로운 영감을 얻고, 무대라는 자궁에서 나가며 또다른 세계를 경험할 수 있는 기회가 주어진다. 제목에 놀라고, 안무가의 몸에 놀라고, 무대 밖을 나서면서 무대를 되돌아보며 생각하며 놀란 공연이다.


 

*I provided a Japanese translation with the DEEPL translator. *

 

 

[Opinion] 人間は思ったより強い。下島玲沙振付「黙れ子宮」 [公演]

 

子宮がなくなった世界はどうだろう?

11.15(金)から17(日)まで芸術の殿堂自由小劇場で上演された下島玲沙振付の『子宮を襲え』は、人間の最も原初的な集団、家族について語る。家族はある意味、人間種の繁殖であり、その中には生命の誕生に不可欠な母親の子宮、父親の精巣(睾丸)がある。振付家である下島玲沙は、先天的に子宮を持たずに生まれた。 彼はこれを自ら子宮を持つことを拒否し、母親の胎内から自ら子宮を外して生まれたと言う。彼は完全な自由の体で生まれた祝福で、人間の生命に対する誤解を覆し、自分なりの方法で生命が完全に全滅した世界を描く。60分間、彼の人生の物語が詰まった、彼の体の中に入り込んで探索する旅を描く。

下島玲沙の『子宮を襲って』は、2021年国立現代舞踊団「私たち家族出入り禁止」プロジェクトで初演された作品である。彼が初演を準備する中で、生まれた時点ですでに1歳とみなす従来の韓国式年齢計算法にインスピレーションを受け、自分は子宮が形成されていないのではなく、自分の意志で「母親の胎内から子宮を外して生まれたもの」であることに気づいたという。

 

ペニスの花が~咲きました~」で始まる公演は、男性ダンサー1人と女性ダンサー2人で始まる。銀色のパンティー(またはおむつ)と上着を着て楽しそうに遊んでいた彼らは、徐々にどこかに吸い込まれていく効果音とともに、女性ダンサー2人が残る。その後、2人のダンサーは、一人のパンティーの中に隠れていたバブルガム2個をそれぞれの口に入れ、もぐもぐと噛み砕く。お互いにデュエットで踊りながら、噛んでいたガムを吐き出し、それぞれの口に入れ、また踊りながらそれぞれの口に入れることから、お互いのチェクを共有していることがわかる。

二人のダンサーの関係は母と娘という設定で、母親の子宮の中で生まれた娘は、お互いのチェクを共有し、遺伝的に繋がった、切っても切れない家族という関係を持つ。最初に登場する3人は家族という一つのグループで結ばれており、彼ら(ユン・ヘジン、イ・デホ、イム・ソジョン)は演劇性を持ったキャラクターとして、観客にぼんやりとした現実的な物語の端緒を提供する。

その後、母親役のダンサーが噛んでいたガムを他のダンサーの下着の中に吐き出すと、天井から巨大な白い布が舞台中央に落ちる。舞台のあちこちに設置されたスピーカーから鳴り響く予測不可能な音の饗宴とシーンの演出がとても斬新で、60分間の物語に没頭するのに大きな役割を果たしました。

 

その後、白い布が落ちると、お腹に太鼓をぶら下げた9人の女性ダンサーが登場します。青い衣装に赤いひざ掛けをつけた踊り子たちは、日本の侍のようでもあり、日本の伝統的な衣装を着ているようにも見える。彼らが登場するにつれて、舞台の雰囲気は幻想的に変化し、まるで振付家の身体の中に入り込んだような状況を提示する。口元を引き裂くような笑みを浮かべている彼らの表情は、現実的な物語にユーモアを与え、不愉快なほど現実的な物語を滑稽にする役割を果たす。 また、太鼓でお腹を膨らませた姿は、妊婦のようでもあり、一つの生命体のようでもあり、何かを抱きしめたいような体の中の精子、あるいは卵子のようでもある。

中央に置かれた巨大な布は、観客を巨大な子宮の中に入れるような効果を呼び起こす。お腹に太鼓をつけたダンサーたちは一斉に布の中に入り、布を掻き回し、最後に一人のダンサーであり振付家である下島玲沙が舞台上に残る。 彼はお腹につけた太鼓を赤ちゃんのように大事に扱い、甘やかす様子が見られる。しかしその時、母親役のダンサーと子供役のダンサー、つまり現実のダンサーがその太鼓を激しく叩いてしまう。好奇心から始まった叩きが次第に暴力的に変化していく。

 

その後、痛がっていたダンサーについた丸い太鼓から、突然、まるでひげのようにぶら下がっている丸い黄色いボール、タマゴが飛び出す。タマゴである二つの黄色いボールは、まるでダンサーの神経細胞であるかのように、少し触れるとダンサーが身体で痛い反応を示し、観客の笑いを誘うが、舞台ではなく現実として受け止めると、タマゴを彼らが身体から切り離したものとして読み取ることができる。

その後、9人の軍舞ダンサーが登場し、作品のハイライトである「タマ踊り」を披露する。太鼓に取り付けられた2つのボールで太鼓を叩きながら、観客を盛り上げ、舞台をお祭りムードに変えてしまう。 また、印象的なシーンとして、3家族の現実のストーリーで、母親と父親の葛藤が高まり、子供(娘)の責任の所在をお互いに主張し、口喧嘩をするシーンがある。家族間の葛藤、そしてその中の分裂、家族という概念について改めて考えさせられる時間でした。

 

最後に、娘役のダンサーがステージを埋め尽くす巨大なサイズの赤い旗を持って出てきてあちこちを振り回すのだが、これは冒頭の白い布が落ちたときに小さな赤い旗を掲げたおもちゃの車が示唆していたこととつながる。振付家の思惟が爆発する前に、小さな誤解から始まった考えが、その後、彼が当たり前だと思っていたことに対する懐疑心を感じ、世の中に当たり前のことはないことに気づき、拡張された思惟に伸びた振付家の頭のようでもある。または、生命を迎える準備が整った妊婦の体のようでもある。

が言いたいことは決して単純ではない。彼が示唆していること、振付家の身体が示唆していることを、彼は非常に愉快に一つの探検であり、お祭りのように子宮という舞台の上で解き放った。子宮がなければ人間もない。従来の女性に与えられてきた人間の生命という重荷が初めて感じられる瞬間だった。毎回神聖視されてきた生命の誕生が、人間という種の繁殖がこんなに虚しいものだったのか。 社会が女性の身体に植え付けた型にはまった脚本が見えなくなり、とても大きな新鮮な衝撃を受けた。

 

回帰し続ける身体への思索

私たちに与えられた肉体は、神が何の理由もなく与えたものではない。私たちは生まれる前から性別が決められて生まれてくる。 つまり、生まれる前から一人の生命に、私たちに社会が与えた義務と責任があるということだ。今まで私たちが当たり前だと思っていた性別と性別に応じた責任と義務から離れ、何の責任と義務も与えられていないこの体を見よ。

子宮も精子もない体を「何もない」肉体、自由と表現する。生殖の機能から解き放たれた、完全に解放された人間の身体。肉体、肉体。この身体には無数の可能性が秘められている。この世界を少し違う角度から見る振付家から、私たちは新たなインスピレーションを得て、舞台という子宮から出て、別の世界を体験する機会が与えられる。タイトルに驚き、振付家の身体に驚き、舞台の外に出て舞台を振り返りながら考えながら驚いた公演である。

 

[イ・ダイヨンエディター]

 

 

[이다연 에디터]



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